魔王降臨!?「山ン本五郎座衛門」
概要
『稲生物怪録絵巻』より。向かって左が山ン本五郎左衛門。向き合っているのは平太郎
時は、寛延2年(1749年)、5月末の夕方、備後国三好(現・広島県三次市)の比熊山にて肝試しをする1人の少年と30過ぎの相撲取り(⁉)がいました。(本当にこういう話なんです。)
少年の名は稲生平太郎(いのうへいたろう)、怖いもの知らずで肝っ玉の据わった少年でした。彼らは夜の比熊山で「触れば即死し、指を指しただけで悪心あるいは吐血する」との謂れがある「たたり岩」に木札を結んだり、「触れればたちまち祟(たた)りがあり、もののけが付く」と噂の「天狗杉」に触れたりとやりたい放題。
その甲斐あって(?)かそれから30日間彼らは様々な怪異に苛まれます。例えば居間の隅の穴から女の逆さ生首が笑いながら飛び歩き、平太郎をなめ回したり、尺八を鳴らす虚無僧が何人も部屋に押し寄せたり…。(詳しくはこちらのサイトに掲載してくださってます。意外とかわいい怪異もあるので是非ご覧あれ。)
しかし彼らは脅かすばかりで平太郎の命を取ろうとはしません。平太郎君もそんな怪異相手にそんなものは知らんとばかり塩対応。
そんな日々が続いた30日目。ついに怪異の親玉が姿を現します。その者の名こそ
「山ン本五郎座衛門(さんもとごろうざえもん)」
上の画像の左に居る普通の武士っぽいおっさんです。
なんと彼は魔王の座をかけて、ライバル・神ン野悪五郎(しんのあくごろう)(凄い名前)ととある対決をしていました。その内容は
「どちらが先に勇気ある少年を100人驚かすことが出来るか対決」
…なんというか、ほほえましい。魔王だったら「首を取る」とか「心臓をえぐる」とかすればいいのに。
まあ、でも平五郎君は肝っ玉が据わっていたので全然驚きませんでしたよ、と。そんな平五郎君を称えて、親玉自ら参上してこれ以上怪異が起こらないことを告げます。そして「今後怪異で困ったときはこの木づちを振って俺を呼ぶがよい」と黒い木槌を渡し、百鬼夜行を引き連れて去っていきます。
帰っていく五郎左衛門と妖怪たち。駕籠からはみ出している巨大な毛むくじゃらの脚が、魔王としての五郎左衛門の真の姿と見られている
フィクションとノンフィクション
この物語は「稲生物怪録」という絵巻物に紹介されています。
そしてなんと主人公の稲生平太郎君は実物の存在です。彼は江戸時代中期の武将、稲生 正令(いのう まさよし)通称・稲生武太夫として安芸国広島藩藩士としてその名残します。その子孫の方も広島県に在住だとか。
また、作中に出てくる比熊山も存在し、最後山ン本五郎座衛門からもらった木槌も国善寺というお寺に今も所蔵されています。
現在の比熊山。標高340mでハイキングにちょうど良いとのこと。
山ン本五郎座衛門からもらった木槌。年に1回ご開帳されるそうです。
では山ン本五郎座衛門も実際に存在したのか?
私はきっとフィクションではないかと思います。
妖怪物語のなかには、時の権力者がその力を示すために妖怪を利用して、その名を世間に知らしめる、というものを見かけます。つまりこんな強い妖怪を倒した俺はすごいんだぞ、と。
山ン本五郎座衛門もそんな妖怪の一人ではないかと思います。
とはいえ。妖怪を語るにおいてそんなこと言っちゃア興が覚めるってもんですよ。彼も当時の民衆の中では実際に居たと思われていた存在ですし、今も世界のどこかで勇気ある少年に怪異を仕掛けていると思っていた方が夢がありますよね。
でもそれにしても「肝の据わった男を100人驚かす」はかわいいと思いますが。何となく稲生武太夫の人柄が垣間見られますね。
山ン本五郎座衛門≒荒俣宏!?
ちなみにこの山ン本五郎座衛門意外とメディアに露出しています。例えば2005年公開の「妖怪大戦争」では山ン本五郎座衛門を荒又宏、神ン野悪五郎を京極夏彦、それを束ねる妖怪大翁を水木しげる御大が演じています。すごいオールスター感がありますね。
それ以外にも「ぬらりひょんの孫」でイケメンとして出てきたり(もとはおっさんなのに…)各種萌えソシャゲで萌え萌えキャラにされていたりと稲生武太夫もびっくりの変貌を遂げています。
過去の絵巻物も現代の資本主義の手にかかれば、あっという間に皆のアイドル…ですね。
萌え萌え山ン本五郎座衛門。大丈夫、はいていませんよ(ニッコリ)
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山ン本五郎座衛門以外にもいろんな妖怪が出てきます。
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