境界の鬼女「橋姫」
概要
橋とは川を渡るためのものであり、古く土地土地を分けていたのはこの川であった。
現在でもその傾向は色濃く残っており、大きな川はいわば土地の境界である。
この境界に出現する妖怪の一人が、この「橋姫」である。
何故「姫」、つまり女性であるかというと、土地の神は他の土地の噂をすると嫉妬するといわれており、嫉妬深い=女性という説や、いとしい、可愛らしいという意味の「愛し(あし)」が「はし」となり「橋姫」となったなど様々な説がある。
嫉妬深い神の話が転じて、『平家物語』の読み本系異本の『源平盛衰記』・『屋代本』などに収録されている「剣巻」には嫉妬に狂った女性の恐ろしい逸話「宇治の橋姫」が収録されている。
嫉妬に狂った「宇治の橋姫」
Wikipediaにわかりやすい和訳が掲載されているので紹介します。
嵯峨天皇の御世(809年-825年)、とある公卿の娘が深い妬みにとらわれ、貴船神社に7日間籠って「貴船大明神よ、私を生きながら鬼神に変えて下さい。妬ましい女を取り殺したいのです」と祈った。明神は哀れに思い「本当に鬼になりたければ、姿を変えて宇治川に21日間浸れ」と告げた。
女は都に帰ると、髪を5つに分け5本の角にし、顔には朱をさし体には丹を塗って全身を赤くし、鉄輪(かなわ、鉄の輪に三本脚が付いた台)を逆さに頭に載せ、3本の脚には松明を燃やし、さらに両端を燃やした松明を口にくわえ、計5つの火を灯した。
夜が更けると大和大路を南へ走り、それを見た人はその鬼のような姿を見たショックで倒れて死んでしまった。そのようにして宇治川に21日間浸ると、貴船大明神の言ったとおり生きながら鬼になった。これが「宇治の橋姫」である。
橋姫は、妬んでいた女、その縁者、相手の男の方の親類、しまいには誰彼構わず、次々と殺した。男を殺す時は女の姿、女を殺す時は男の姿になって殺していった。京中の者が、申の時(15~17時ごろ)を過ぎると家に人を入れることも外出することもなくなった。
そうした頃、源頼光の四天王の1人源綱が一条大宮に遣わされた。夜は(橋姫のせいで)危険なので、名刀「鬚切(ひげきり)」を預かり、馬で向かった。
その帰り道、一条堀川の戻橋を渡る時、女性を見つけた。見たところ20歳余で、肌は雪のように白く、紅梅色の打衣を着て、お経を持って、一人で南へ向かっていた。
綱は「夜は危ないので、五条まで送りましょう」と言って、自分は馬から降りて女を乗せ、堀川東岸を南に向かった。正親町の近くで女が「実は家は都の外なのですが、送って下さらないでしょうか」と頼んだので、綱は「分かりました。お送りします」と答えた。すると女は鬼の姿に変わり、「愛宕山へ行きましょう」と言って綱の髪をつかんで北西へ飛び立った。
綱はあわてず、鬚切で鬼の腕を断ち斬った。綱は北野の社に落ち、鬼は手を斬られたまま愛宕へ飛んでいった。綱が髪をつかんでいた鬼の腕を手に取って見ると、雪のように白かったはずが真っ黒で、銀の針を立てたように白い毛がびっしり生えていた。
鬼の腕を頼光に見せると頼光は大いに驚き、安倍晴明を呼んでどうすればいいか問うた。晴明が「綱は7日間休暇を取って謹慎して下さい。鬼の腕は私が仁王経を読んで封印します」と言ったので、その通りにさせた。
剣巻では橋姫の腕を斬った「鬚切」はこの事件により「鬼丸(おにまる)」と呼ばれるようになったとされる。綱の羅生門の鬼退治(『酒呑童子』)や多田満仲の戸隠山の鬼退治(『太平記』)などで振るわれた鬼切(おにきり)と同一視されることが多い、鬼と縁が深い名刀である。
橋姫が浸った川は宇治川で、祭られているのは宇治川の宇治橋だが、綱が橋姫と出合ったのは堀川の一条戻り橋である。
歳月の経過は特に描写されていないが、源頼光・源綱・安倍晴明の時代は「嵯峨天皇の御世」の200年近く後である。
引用元:橋姫 - Wikipedia
もとは嫉妬深い土地神の話が人の世に降ろされて怪談になったというわけですね。なお、この橋姫の姿は
しかし宇治の橋姫の話でも人が妖怪になるために境界である川に身を浸す必要があったわけですね。
人は属性をもってでしか生きていけない。境界に立つものは人ならざる者になってしまうのでしょうか。
縁切り神社「橋姫神社」
この橋姫を祀る神社が京都府宇治市に存在する「橋姫神社」である。橋を守る一方で人の縁を切るともされている。悪縁を切るのには良いが、良縁まで切られてしまったらたまったもんではありません。なお、婚姻の際にはこの神社の前を通るのすら禁じられているそうです。
人の世で見ると、嫉妬に狂った妖怪を鎮めている神社だが、それでも愛し合う二人が来ると縁を切らずにはいられない橋姫さんの心がある様に見えます。
速水の祓神「瀬織津姫」
なお、この神社の祭神は「瀬織津姫」という神道の大祓でも名前が出てくる祓い浄め女神。一説によると天照大御神の荒魂が瀬織津姫ではないかとする説もある謎の多い神様です。
瀬織津姫は人の穢れを早川の瀬で浄める女神で、大祓でも
「佐久那太理(さくなだり) に落ちたぎつ速川(はやかは) の瀬に坐(ま) す瀬織津比売(せおりつひめ) 」
訳:勢いよく下る流れの速いところに鎮座されている瀬織津姫
とされている。このような属性は水神や祓神、瀧神、川神にみられ、つまり治水の神である。つまり瀬織津姫がそこにいるのは宇治川を治めるためである、と。
つまり最初にあった境界に住む守り神こそ瀬織津姫なのかもしれません。
そもそも橋姫神社は宇治川の上流にある佐久奈度神社から瀬織津姫を遷宮して作られてきたものだそう。橋姫神社では「宇治の橋姫」と「瀬織津姫」は同一視されているとのこと。
激しく渦巻く嫉妬の妖怪と急流を治めて鎮める神が同一視されているのは不思議なものです。
鎮める事と有り体のまま露出することは表裏一体という事なのですね。
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